「生活」という言葉
3月まで3年間デザインの学校に通っていました
デザイナーにはならずフリーターとしての自由を満喫している現在です。
ついこの間の事だからこそ、色々忘れようと必死なのだけど
数ヶ月前は卒業制作とインターン(闇)に追われ精神的に死んでいた。
正直いって何もかも楽しくなく、学校のシステムに不満が募り、毎日憂鬱な気持ちで家を出る時間もすこしずつ遅くなっていき(それまで始業40分前には必ず居たのに数分前に着く事もあった)、インターンも納得のいかない形で1月というかなり遅い時期に無理矢理和解・解消に持って行ったし、おかげで就活する隙もなく(出来ない事もなかったが、完全に心が折れていた)、卒制の追い込みで徹夜が続き生活はガタガタだった。
通ってる場所の遠さもあり、5時半に起きて、20時に家につき、3時就寝の日もあれば寝ない日すらある。2時間も寝てない。もはや人間らしい生活ではない。
で、あんな日々をようやく終えて、卒業式までヒマになったんですけど、その期間で8時間睡眠とか、朝9時とかに起きて0時前に寝て、3食キチンと食べる人間らしい日常を実感したんですね。でもそこでそんな暮らしと「生活」って言葉に対して違和感覚えるようになっちゃって。
すごくないですか?「生きる」「活動」じゃないですか?すごくない?
生きとし生けるものすべてが拒否権などなく生きている限り「生活」を強いられてるんですよすごくないですか?
まあその、言葉とか概念とか吹っ飛ぶくらい参ってたってことですね。
そんなことをふと思い出したので書き出してみた。
思い立ってその時の自分のツイートさかのぼったら随分逝ってた。
なんかもう死ね殺すしか語彙がないあたりヤバかった。
私だけじゃなく皆「早く人間になりたい…」とかいう妖怪人間と化してましたからね。
それでも一応、抱いてる不満や苦痛は生徒みんな大体共通していたから
発散の場があっただけマシか。
最初に今フリーターしてるって言ったけど、インターンを通して私はデザイナーにならない決心をした。今新卒で頑張っている同級生達の様子を見る限り、まあその点だけ得だったか…。ものづくりは嫌いではないが、自分にとってやっぱり仕事にするのは違った。
単純にみんながブラックに嘆いたり社会人としての厳しい風当たりに疲弊してく様子は心配だし、応援している。でもどこか自分がその世界に飛び込まなくてよかったという安堵もある。
今はただ、金を稼ぎ、睡眠時間を確保して朝起きて夜寝る生活がこのまま維持できればいいと思っている。